三田城
別名 車瀬城 三田陣屋 |
付近住所 三田市屋敷町2-20 | 現在 三田小学校.他 |
碑・案内板アリ | 日本城郭大系 |
赤松氏 荒木氏 山崎氏 家盛 若桜藩へ 横須賀藩より 有馬氏 則頼 福知山藩領 上山藩より 能見松平家 重直 竜王藩へ 鳥羽藩より 九鬼氏 久隆→隆昌→ 隆律→副隆→ 隆久→隆抵→ 隆由→隆邑→ 隆張→隆国→ 隆徳→精隆→ 隆義 |
約三百年前、定慧上人により金心寺がこの地に創建されたが豊臣秀吉の三田城攻略の時、焼失した。寺はその後、屋敷町に再建され明治二年、現在の西山丸岡に移転した。なお、寛永十年、九鬼久隆公が鳥羽より三田に移封され、この地に居館を構えた。三田小学校、及び県立有馬高校はその跡地に建てられている。九鬼氏以前の領主は荒木・山崎・松平と続いたがその居城は明らかではない。旧市民病院裏の舌状高台あたりを「古城」と呼んでいるので、名のとおりそこであるかも知れない。三田が門前町として開けてきたところだといわれるのは、奈良時代に金心寺という大寺があったからである。城跡から屋敷町一帯にかけて古瓦や礎石・中世の石造物などが出土している。 三田城跡碑 |